KachiSpo
KachiSpo

ダークモード

  OFF

特集・掲載

【佐賀商業男子バレーボール部】「小学校から共に戦ってきた仲間と目指す全国」第4弾

配信:
2024/3/11 6:00:05
取材:
2024/3/5 1:00:00
【佐賀商業男子バレーボール部】「小学校から共に戦ってきた仲間と目指す全国」第4弾
高校総体全国高校選抜大会佐賀商業高校バレーボール

1931(昭和6)年に創部された佐賀商業高校男子バレーボール部。全国大会出場回数は県内最多回数を誇るバレーボールの強豪を引っ張る4人の選手がいます。
嬉野市出身の川原選手、竹下選手、宮崎選手、中島選手。小学校からバレーボールをはじめ、同じ夢を持って佐賀商業高校に入学し、寮で生活を共にしながら努力を重ねる4選手。
本特集では、4人の出会いから現在に至るまでを取材しました。
第4弾となる本記事では、4人のバレーボールの原点である川原選手の父、川原良太さんについて、まさに今、新たな目標へ向けて歩んでいる一人一人の3人に対する思いをインタビュー。

バレーボールを始めさせてくれた川原選手の父、良太さん

バレーボール未経験ながらクラブを立ち上げ、共に歩んできた良太さん。アメリカでメンタルトレーニングについて学んだ経歴があり、この4人が周りを味方にして緊張する場面でも力を発揮できるのはその教えがあるからだろう。

ーー川原選手のお父さん、良太さんはどんな人ですか?
竹下選手「アツい。めっちゃアツいです。」
中島選手・宮崎選手「アツい人です。」
川原選手「そうですね。アツいです。」

ーーライバルが部活動をしている中、ずっとクラブチームでの活動でしたが、焦りなどはありましたか?
川原選手「クラブでできて良かったです。上手くなることはもちろん、バレーボールそのもの楽しむクラブをつくってくれたので、勝てない期間でもコロナ禍でも辞めようとならなかったし、ここまで強くなれていると思います。」
中島選手・宮崎選手「楽しくできたところが良かったです。」
竹下選手「地域との距離が近かったので、嬉野という地元を背負って戦っている感覚が誇らしかったです。」

選手だけでなく全員で戦ったクラブ時代


お互いの本音をぶつけていただきました!

ずっと同じチームで切磋琢磨してきた4人。佐賀商業男子バレーボール部で全国上位を目指す今だからぶつけたいお互いの本音とは。

宮崎選手へ向けて
川原選手「これまでもチームを救ってくれたように、チームが悪い時にこそ決めてほしい。波があるからプレーのアベレージをもう1段あげてほしい!」
中島選手「いい時はものすごいけど、調子が良くない時との差があるから、そこを変えてほしい!」
竹下選手「小学校からチームのエースで何回もチームを救ってきてくれた。これからもそういう存在でいてほしい。」

中島選手へ向けて
川原選手「普段は静かだけど試合になったら人が変わる。アツいのはめっちゃいいけど、アツすぎてイエローカードもらうのはやめてほしい。」
宮崎選手「優しくて、他人にあまり言わないから、もっとガツガツ言ってほしい!」
竹下選手「とても優しい。ミドルブロッカーだし、ブロックの指示も他のことももっとガツガツ言ってほしい。自分はセッターだからクイックの精度を2人で高めていきたい。」

川原選手へ向けて
竹下選手「お父さん譲りのアツいところが魅力で、頼りがいがある。自分がキャプテンだから、副キャプテンの大虎と一緒にいいチームをつくっていきたい。」
中島選手「トスが上がったら決めてくれる。頼れる選手。これからもいつも通り決めてほしい。」
宮崎選手「大虎くんみたいにスパイクで目立ちたいと思っている。レシーブも上手くて、真似していきたい。」

竹下選手へ向けて
川原選手「めっちゃ真面目。キャプテンとしていいことなんだけど、その分1つのことにガッとなっちゃう時があるから試合中はコートを広く見て、トスアップはもっと遊んでほしい!」
中島選手「真面目で、練習も締めてくれる。試合でもっと自分を使ってほしい。」
宮崎選手「真面目なので、トスで色んなスパイクが打てるように遊んでほしい!」

左から宮崎選手、中島選手、川原選手、竹下選手



入学から2年が経ち、4月から最上級生。4月に全九州バレーボール総合選手権佐賀大会。5月下旬ごろに総体。インターハイや国スポなどを経て、12月に春高バレー。高校バレーは残り1年もない。全国上位の目標に向け、ずっと一緒に戦ってきた仲間と走っていく。

記事
株式会社WIDE - 永石恒陽

この記事を共有
関連記事
おしらせ
かちスポ公式Instagram開設しました!
2023/11/1 3:06:15

お知らせ一覧を表示する >

競技から探す
バスケットボール
学校・チームから探す
SUPPORTED BY