【佐賀清和高校ウエイトリフティング】ウエイトリフティング歴9ヶ月で全国準優勝 怪我を乗り越え北海道総体へ

競技歴9ヶ月で全国準優勝。ウエイトリフティング界に彗星のごとく現れた佐賀清和高校の2年生、松尾環那選手。今回は、ウエイトリフティングとの出会いから素晴らしい結果の裏にあった苦悩。北海道総体に向けて努力を重ねる松尾環那さんにお話をお伺いした。
レスリングからウエイトリフティングへ
5歳からレスリングを始め、全国の表彰台にも登っていた松尾選手。「高校でも続けるとなると周りの選手の本気度が上がるのは分かっていて、自分にはそこまでの熱量はなく、続けても負けてしまうだろう。でもスポーツはしたい。」当時中学2年生の彼女は悩んでいた。そんな時に参加したのが佐賀県が実施するジュニアアスリートスカウト事業。ウエイトリフティングに向いているとの判断を受け、競技と出会った。
いい環境で練習させてもらっている
現在の練習は週5日、1日2時間程度。鹿島市からの電車通学の中、練習時間を捻出し、SAGAサンライズパーク内にウエイトリフティング室に向かう。指導を行うのは佐賀県ウエイトリフティング協会会長を務め、世界大会の経験もある小川稔さん。ハード・ソフトの両面ともこれ以上ない環境だ。松尾選手は、「この施設ができてからいい練習ができている。設備も充実していて嬉しい。小川さんはとても優しくて関わりやすい指導者。改善しなければいけないところを的確に教えてくれるし、自分専用の練習メニューを組んでもらっていたり、フォームを確認するための動画を撮ってくれたり。手厚いサポートにいつも感謝している。」と話した。
競技歴9ヶ月で全国2位。輝かしい成績と引き換えに…
ウエイトリフティングを始めて、9ヶ月。中学3年生で出場した「全国中学生女子ウエイトリフティング大会」で準優勝。地道に練習した成果が実り、佐賀県のウエイトリフティング界が盛り上がった。しかしこの時、松尾選手は腰に怪我を抱え、その痛みと戦いながらの出場。怪我との戦いはここからだった。
「ずっとこのままなら辞めようかな」
中学3年生で腰の怪我が発症してから約1年間、苦しい時間を過ごした。怪我と戦いながら練習を重ね、試合に出場する。3位となった四国総体も怪我を押しての出場だった。
「痛いのが当たり前になっていて、練習中に無意識に庇っている部分もありましたし、痛みで練習が続けられないこともありました。記録も伸びなかったので、このままなら辞めようかなと思うこともありました。」
怪我を治すことを第一に
四国総体後、腰の治療に専念した。練習ができず、焦りや不安が押し寄せる。それでも意志は固かった。
松尾選手は腰の状態が回復すると、急成長を遂げた。全国2位となった中学3年時の記録がスナッチ(バーベルを一気に頭上まで持ち上げる種目)で51キロ、クリーン&ジャーク(一旦肩の高さまでバーベルを持ち上げ、その後に頭上へ持ち上げる種目)で68キロのトータル119キロ、その8ヶ月後の四国総体の記録がスナッチで52キロ、クリーン&ジャークで67キロのトータル119キロと合計では差はなかったのに対し、今年5月の県大会ではスナッチで52キロ、クリーン&ジャークで74キロのトータル126キロと記録を7キロも伸ばし、大会新記録をマークした。
急成長の要因
この急成長の要因について、松尾選手は「自分の身体能力に頼ってバーベルを上げていたので、怪我につながっていました。今は、フォームを改善して練習で追い込むことができるので、腰の筋肉に筋肉痛も感じますし、筋肉量を増やすことができるようになりました。」と分析した。
怪我を克服し、万全の状態で北海道総体に挑む松尾選手。
第2弾では、松尾選手の自己分析や一番近くで見てきた小川会長へのインタビューからその強さに迫る。
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