「佐賀を変えにきた男」栃木渡の挑戦

ニューイヤー駅伝に2018年から4年連続出場するなど、輝かしい実績を誇るひらまつ病院陸上部。今回は栃木からやってきた期待のランナー栃木渡選手にお話を伺った。
荻久保選手と同様に、は昨年度まで関東の実業団に所属していた栃木選手。今年度からひらまつ病院に移籍し、佐賀の陸上界と佐賀県全体、そして人間界!?に新たな風を巻き起こす。
箱根駅伝区間賞の実力
今年で28歳を迎える栃木選手。大学時代は誰もが憧れる箱根駅伝に出場し、なんと区間賞を獲得している。
そんな栃木選手は2023年度より心機一転、佐賀県のひらまつ病院にプロ契約として移籍し、陸上選手としてキャリアハイを目指す。
「自分で色々と決めながら陸上に向き合えることがひらまつ病院陸上部の魅力ですね」
マラソンへの憧れ
高校時代はトラック専門として陸上を続けてきた栃木選手には、常にマラソンへの憧れがあった。なぜマラソンへの憧れがあるのか?そう尋ねると意外な答えが返ってきた。
「マラソンは哺乳類の中で人間が1番速いんです。短距離だとチーターや豹とかに人間は歯が立たない。でもマラソンだとチーターたちは長い距離が走れずバテてしまうから人間の方が速いんです。だから僕は人間が哺乳類の中で1番速いマラソンの世界で輝きたいんです。」
爽やかな顔からは出てきそうもない答えに驚いてしまったが、インタビューを続ける中で栃木選手の考えには一貫しているものがあると感じた。
これからの目標
キャリアハイを目指す栃木選手に、これからの目標をお聞きした。
「競技全体としては、ひらまつ病院のメンバーとして直近は出場できていないニューイヤー駅伝に貢献していきたい。選手個人としてはマラソンの日本代表に選出されたい。そして陸上を通して思い入れのある佐賀の魅力を全国に発信していきたいです。」
佐賀との関係性
栃木県出身の栃木選手、一見佐賀県には縁もゆかりもなさそうだが、実は学生時代からのご縁があった。
実は大学時代、毎年合宿で鹿島市に訪れていた。その際は鹿島高校陸上部に指導を行なったり、佐賀産品を食したり、佐賀への思い入れがあった。
そんな中巡ってきた佐賀、ひらまつ病院への移籍。なにか運命を感じてしまう自分の人生に、栃木選手は大きなやりがいを感じている。
何かを変えるのは「よそ者・若者・バカ者」
「僕は佐賀の陸上界と佐賀全体を変えていきたいんです」
爽やかな顔からホットな言葉が飛び出てきた。
栃木選手には、一流の環境で陸上に打ち込み、そこで結果を残してきたからこそ感じる、陸上界への違和感がある。
「良いランナーがいても、その選手たちの能力が閉ざされてしまう可能性もある、それはすごくもったいないと思う。それは佐賀も同じだと思うんです。
佐賀には美味しいものがたくさんあるし、新幹線の開通もあって益々魅力が増してきている。でも魅力度ランキングが最下位とか言われたり…せっかく良いものがあるのに、それらが能力を十分に発揮できないのはもったいないんです。僕はそれを変えていきたい。何かを変えるのは3つの者と言われている。よそ者・若者・バカ者、僕は奇遇にも全てが当てはまっている。だから僕は陸上を通して佐賀の魅力まで伝えていける人間になりたいんです。」
そう語ってくれた栃木選手。
ひらまつ病院・栃木としての今後の目標
「何かを変えていくためには、やはり結果を残すしかない。だからこそ元気を忘れず、佐賀県代表として佐賀を背負って陸上に向き合っていきたいです。」
幕末時代、日本を背負っていたのは鍋島直正や大隈重信など、佐賀の人間だった。
あれから約100年後の今、佐賀には栃木からやってきた1人のランナーが、佐賀の歴史を変えようとしている。
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