キャプテンとして、陸上部に新しい風を

ニューイヤー駅伝に2018年から4年連続出場するなど、輝かしい実績を誇るひらまつ病院陸上部。今回はキャプテンとしてチームを牽引する上田結也選手にお話を伺った。そんな上田選手、強い責任感と使命を抱く4年目は、心機一転「プロ選手」として陸上に向き合う。
社員からプロ選手への転向
入社以来3年間、ひらまつ病院の職員として陸上部に所属していた上田選手は、
ニューイヤー駅伝に2年連続出場できなかったことに悔しさを感じていた。
「もっと陸上に向き合わなければ」
陸上への強い意志が上田選手の背中を押した。
自ら監督に「プロとして陸上に向き合わせてほしい」と直談判。
基準タイムや日頃の姿勢が評価され、2023年度より「プロ契約」としてひらまつ病院の陸上部に所属することに。
中学2年生までは野球部に所属しており、3年生から陸上を始めた上田選手。
高校~大学と度重なる怪我に悩まされた時期もあったが、強い意志が彼を「プロ選手」まで押し上げた。
イレギュラーな形でプロ選手になった上田選手。職員からプロへ、どういった面で変化があったのか?
全ての時間を陸上に捧げられるように
これまで、いち職員として陸上部に所属していた頃は、日中は病院の業務をこなし、夕方から練習に励んでいた。そんな中、プロ転向後の4月以降は日中の業務はなくなり、全ての時間を陸上に捧げることができる環境が整った。
現在の日々の過ごし方は、1日を午前と午後の2部制に分け、それぞれ午前と午後の両方で個人練習をこなしている。その中で、チーム全員の全体練習がある火曜と金曜は、夕方からチーム練習を行っている。
プロ転向となり、病院や仲間からのプレッシャーや、一人の時間が増えることによる“不安”はなかったのか?
不安はなく陸上に向き合える日々が楽しい
プレッシャーはないか?という質問に対して、迷うことなく「プレッシャーや不安はないです、とにかく陸上に専念できる日々が楽しいです」と答えた上田選手。
そこには陸上を始めたときから抱き続けてきた、陸上への愛が垣間見えた。
卒業間近で決まったひらまつ病院への入社
大学時代、周りの同級生が就職先を見つけていく中、上田選手は「実業団で陸上を続けたい」という思いから、大学4年生の冬先まで就職活動を続けていた。
「今年ダメでも、就職留年をして次の年の採用でもう1回実業団への入社を目指す予定でした」
諦めない意志が実を結び、年越し間際の11月、ご縁のあったひらまつ病院への入社が決定した。
今後の夢
チームとしては「3年ぶりのニューイヤー駅伝への出場」を掲げるひらまつ病院陸上部。一方で個人としては来年2024年に開催される「パリ五輪への出場」を目指している上田選手。
自己ベストを更新し続ける上田選手のキャリアハイに、県内外の陸上関係者やチーム、病院からの注目度は高まっていく。
他のランナーと比べ、遅くに陸上を始めた上田選手。
それにも関わらず、「実業団への入社」や「プロへの転向」など輝く成果を出してきた。
だからこそ伝えたい、スポーツに悩みもがいている中高生に伝えたいこととは?
中学高校生アスリートに伝えたいこと
「正直上手くいかないことはたくさんあると思います。ただし落ち込む必要はないし、諦めてほしくないと思います。自分自身中学3年生から陸上を始めて、高校大学では何度も怪我をしました。それでも走ることが好きだという思いが強かったので、辞めずに続けてきました。だから、辛いことがあっても伸び伸びと陸上に向き合ってほしいと思います。」
そう語ってくれた上田選手。
プロとして、キャプテンとして、諦めない強い意志と陸上への愛を胸に、ひらまつ病院の3年ぶりのニューイヤー駅伝出場とパリ五輪への出場を成し遂げる。
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