梅﨑潤平 SAGA国スポ 佐賀県を代表する絶対的エースに
昨年9月に開催された天皇賜杯第78回全日本軟式野球大会ENEOSトーナメントではベスト4に入るなど、佐賀県にのみならず全国でも屈指の活躍を見せるひらまつ病院軟式野球部。今回は、ドクターの診療の補助を行う「医療クラーク」として従事しつつ、絶対的エースとしてチームをベスト4まで導いた、梅﨑潤平さんにお話をお伺いした。
「あの舞台に立てたのは大きな財産です。」
高校時代には佐賀県代表として甲子園にも出場
お父さんは少年野球の監督、2人のお兄さんも野球をしていた「THE 野球一家」で育った梅﨑選手。ご自身も小学校3年生の時から野球を始め、中学生時代は唐津のボーイズリーグで野球に打ち込んだ。伊万里農林高校に進学した梅﨑選手は1年生の時に甲子園に出場し、「360度観客がいる中で野球ができるという経験を高校生でできたことは大きかった」と振り返った。その後に進学した関東学院大学でも野球を続けている。
硬式野球を続けようとしていると大親友から連絡が
当時はひらまつ病院のことを知らず、硬式野球を続けることのできる企業への就職を考えていた梅﨑選手。高校卒業時からひらまつ病院軟式野球部に所属していた高校の大親友に猛烈な勧誘を受けて、ひらまつ病院で野球を続けることを決意。ひらまつ病院で小学生以来の軟式野球をすると決めた最大の理由について梅﨑選手は、「家族にまた野球をしている姿を見せることができるなと思って。」と話した。
日中は医療クラークとして患者さんのケアを
クラークとは、「事務」的な意味合いを持つ言葉だが、梅﨑選手が行う仕事もドクターの診療の補助といった内容である。患者さんとの距離は近く、ドクターの診察をもとに患者さんやそのご家族とコミュニケーションを取ったり、在宅医療での過ごし方をケアしたりするため、医療の知識もさる事ながら、患者さんに寄り添った対応が求められる仕事となる。
家族の支えがあって今がある
平日の日中は当然医療業務に従事している梅﨑選手だが、ひらまつ病院軟式野球部の活動は平日に練習があり、土日は遠征や大会がある。そんな状況でも梅﨑選手は、「きついですけど、やりがいがあるところでもある。」と答える。そのやりがいの中には「家族」の存在が大きいと感じる。現に梅﨑選手は「野球は家族の支えがないとできないこと。感謝しているし、だからこそ大事にしなければならない。」と話しており、社会人になって選択肢がたくさんある中、どれだけ大変でも本気で野球をやる意味がそこにあるのであろう。
目指す先はもちろん日本一
冒頭の通り、昨年は天皇賜杯でベスト4という結果を残したひらまつ病院軟式野球部。その1回戦、2回戦、準々決勝、準決勝と先発し、完投しているのが梅﨑選手であり、チームの絶対的なエースであることは間違いない。準決勝は本大会を優勝した和合病院に2-3で敗北したが、実力の差は大きいとは感じることはなく、確かに勝負どころの1本が逆であったら、日本一はひらまつ病院だったかもしれない。そういった点では、日本一が手に届く範囲にチームは現段階でいて、今後の本チームや梅﨑選手も選出されているSAGA2024国スポの結果はとても楽しみなものになるだろう。
「恩返しじゃないけど、良い結果を残したい」
現役の状態で出身県の国スポに出場する想いとは
今年佐賀県で開催されるSAGA2024国スポを「運命」と表現した梅﨑選手は、国スポの勝利にも燃えている。佐賀県の代表として野球ができることだけでも喜ぶことができるのに、今年はその舞台が自身が育ってきた「佐賀県」である。それが現役のキャリアハイタイミングで開催されることは確かに「運命」と表現されるべきものであるだろう。
話をしていて、「国スポで優勝する」という言葉こそ出ていないが、梅﨑選手の指す「良い結果」とはおそらく「優勝すること」、「日本一になること」という意味合いが強いのであろうと感じた。
ひらまつ病院で野球をしていて感じる「良さ」
梅﨑選手にとって小学生以来となる軟式野球。中学校、高校、大学と硬式野球をやってきたからこそ、約10年ぶりにする軟式野球の良さがわかるし、硬式野球の良さも再認識することができる。また、今まではなかった歳の離れた選手と野球を共にする良さや本気で日本一をみんなで目指す良さも感じることができるチームとして、「ひらまつ病院」で野球をすることを今後の野球人生を設計していく選手たちの選択肢の1つにしてもいいのではないでしょうか?